辻堂の記憶

書物には残らないかもしれない、でも忘れたくない辻堂の記憶をちょっとずつ残していきます。

諏訪神社

江戸時代、保々石見神(ホボイワミノカミ)が御家人から旗本になった(辻堂の石高が265石を超えた、260石から旗本になれる)から諏訪神社を建てた。

辻堂八社→宝泉寺よりも後。

  辻堂の氏神様だけど、方角が東(ほんとうは真南を向くはず)。これは宝泉寺より後に建てたため。



辻堂の諏訪神社は両諏訪神社(夫婦を祀っている)

 男:建御名方神タケミナカタノカミ)

   たけだけしい水(御名)のそばにいられる神様

 女:八坂刀女神(ヤサカトメノカミ)

   八つの坂を超えないと会えないような美人の神様

 

諏訪湖諏訪神社

 諏訪神社周辺に上諏訪神社、下諏訪神社

 上諏訪神社(本宮)に男が祀られている

 下諏訪神社に春宮と秋宮の二つある。300mぐらい離れている。

  男と女が祀られている

 前宮に女が祀られている

 

諏訪神社

 境川(相模の国、武蔵の国の境)の西に多い。

 その東側は鹿島神宮香取神宮が多い。

果物

うちには2種類の桃畑があった。

テンシン:頭がとんがった形、少し硬い

スイミツ:熟れるとやわらかい

北町の屋号、辻さん宅のそばに出荷していった。

砂地でも大丈夫だった。

 

ブドウ

バーミヤンがブドウ畑だった。

 

スイカ

メロン

 メロン畑。昔は真っ黄色だった。

 

白浜養護学校周辺の海岸の砂を大八車で持ってきて、田んぼを埋めた。(祖父が生まれる前の話)

石井家が辻堂元町で早い段階でリアカーを買った。大八車だと荷物を積むのに高く挙げなくてはならず、大変だった。また、大八車の車輪は幅が狭く、舗装していない道路にはまってしまっていた。

辻堂の海

祭り(7月26日・27日)前は畑仕事が忙しくて海に入らなかった。

お盆は、その時期におぼれて亡くなった人がいたから、「おぼれちゃうぞ」と言われた。

8月は「土用波が来るから気をつけろ」と言われた。

土用波:台風の煽りで荒れること

 

溺れて亡くなった人は、茅ヶ崎の方に流された。(三浦半島に当たった波の影響?)

南風強くて、波が荒いと特に、波が茅ヶ崎に向かう。

 

おたる(沖に向かう潮が流れるところ)が100mおきぐらいにあった。

そこはやわらかいため、溺れやすい。ナガラミとハマグリも採れた(特に大潮の時)。

祖父は一回溺れて、兄に助けてもらったことがあった。

諏訪神社例大祭

毎年決まって7月26日・27日。

辻堂の諏訪神社は、川から水を引くことができず、砂地のため、梅雨の雨で無事田植えをできたことを水の神様に感謝する祭り。畑作業も一段落着いた時期。収穫祭ではない。

一度だけ梅雨の雨が足らず田植えができなかった時(1955年前後)は、祭りは行わなかった。

片瀬の諏訪神社も同じ日にち(7月26日・27日)で行っていたが、海水浴客の宿などで海が忙しいため、日にちを一カ月ずらして行っている。

辻堂駅

開設時1916年

現、北の寺(宝珠寺)のところに作るはずだったが、藤沢駅までの距離が近いため、地域住民が反対。茅ヶ崎市との市境近くへ移動。西町のサカヤが土地を出した。

 

駅周辺の商売は元々辻堂の人ではない人がやっていた。

 

石井家代々の名前

1代目 五兵衛

2代目 浅右衛門

3代目 五兵衛

4代目 浅右衛門

5代目 五兵衛

6代目 浅右衛門

7代目 五兵衛 (この人の名前が通称の屋号として使われていた)

8代目 徳右衛門(7代目五兵衛が娘のみだったため、西町の大西から婿に来た。

その後に光五郎が生まれ、塩瀬に新宅に出した。)

9代目 辰五郎 

 辻堂駅開設時(1916年)

10代目 光行(タカ(奥さん)が西町のサカヤから来た)町会議員を少しやった みーさん

11代目 幸次郎 (秀子(奥さん)のおばさんが西町のサカヤに嫁に来ていた)神主 こうちゃん 辰五郎の弟が幸次郎だった。砂川家に婿に行った。

12代目 光


※祖母の方
祖母の母方の大叔母さん(栗原)が京都で女官をしていた

祖母のお父さんの弟(茅ヶ崎のおじさん)が、皇室の御養蚕所に仕えていた

群馬の三渓園と美濃口家は関係があった

祖母の祖父は神奈川県の養蚕教師で、免許のない測量士だった

屋号

屋号:明治初期からの通称

 

【南町】

斎間→マゴエム様(孫右衛門 まごえもん)

石井→ゴヘイ様(五兵衛)

櫻井(盛本)→テントウ(天東網 網元だった)

田中→トウヒチ様(唐七)

吉田→ジュウロウ様(重郎網 網元だった)

吉田→ブンエム様(文衛門?)

石井→モンベエ様(紋兵衛)

櫻井はちろう→リョウスケ様(良介)

櫻井→イチレム様(市良右衛門イチリョウエモン)

   or ウエ(高いところだから?)

森→オウエ(ウエの上だから)

相沢→シゲエム様(繁右衛門)

吉田のりゆきさん→チュウヒチ(忠七)

吉田きみひささん→ニヘイ様(仁兵衛)

 

【東町】

森→タロゼム様(太郎左衛門 たろうざえもん)

落合→ゴエム様(五右衛門? ゴエモン?)

杉山→チョウベエ様(長兵衛) 

落合→ゼンタロ様(善太郎)

 

【西町】

山田→ロクロベエ様(六郎兵衛 ろくろうべえ) 海軍演習時に弾薬庫があった

山田→ヘイベイ様(兵々衛?)

櫻井→ギンコウ(銀行)

櫻井→キンエム様(金右衛門 きんえもん)

櫻井たかひろさん→サカヤ

植木→ニイヤ(新屋?)

石井→シンゼム様(新座(or左?)衛門 しんざえもん)

植木→ナカヤシキ(中屋敷

植木→カンゼム様(かんざえもん)

櫻井あきら→ロクエム様(六右衛門 ろくえもん)

櫻井→オオニシ(大西)

 

【北町】

高橋→カクエム様(角右衛門? 現、盆栽屋さん)

??→大松

??→小松(元 屋根屋さん)

森下→トウベエ様(藤兵衛 とうべえ)

吉田→ツジ(辻)

森→ヤマナカ(山中)

 宝珠寺が焼失のための移動に伴い、同時に引っ越しをし、ヤマナカと呼ばれるようになった。辻堂では森や畑のことを”山”と呼ぶことがあった。