辻堂の記憶

書物には残らないかもしれない、でも忘れたくない辻堂の記憶をちょっとずつ残していきます。

2018-01-01から1年間の記事一覧

武内宿禰タケノウチノスクネ

南町の人形山車は【武内宿禰タケノウチノスクネ】である。 〇はじめに 古事記・日本書紀などに登場する日本最初の大臣で、2000年ほど前、5人の天皇、そして北町の人形【神功皇后ジングウコウゴウ】に大臣として仕えた。戦前(明示・大正)は紙幣にも肖…

熊森権現(クマノモリゴンゲン)

今はギンコウの土地にある。 第六天と熊森権現、天王山(宝珠寺の守護神)の三点が辻堂で高いところだった。

引地川

昔(明治の頃)は辻堂小学校のそばを流れていた。そこから大きく曲がって海に向かう。鵠沼から辻堂に少し土地が移った。川のそばは栄養が流れてくるため、田畑をしやすかった。

辻堂八社

辻堂には小さい神社が8個ある。 諏訪神社や宝泉寺より先にできた。 西町 ・八幡神社(ハチマンジンジャ) 南を向いている ・白山神社(ハクサン) ・八ツ森稲荷神社(ヤツモリイナリ) 八ツ森稲荷に頭を下げて、高砂の畑に行った 東町 ・八ツ松稲荷神社(ヤ…

辻堂の名前の由来

”辻”(四つ角)に”堂”(お寺)があったことが名前の由来。 2つ説がある。 1.旧北の寺のそばの辻が辻堂の名前の由来。 北ン寺(北の寺、宝珠寺、真言宗)が焼失する前は、現北町山車小屋の位置にあった(焼失後は線路そばに移動)。その四つ角の吉田さん宅…

第六天

石井家の敷地内に第六天が祀られている。 8代目徳右衛門が、嵐が来て第六天(当時は木だった)が壊れてしまっていけないので、石板でつくった。当時は高砂へ向かう坂の上にあった。第六天の参道、松並木があった。なぜうちの土地になったのかは不明。11代…

御霊社

石井家横にある御霊社 石長姫神(いわながひめのかみ)が祀られている 辻堂の諏訪神社に祀られている建御名方神と八坂刀女神の長女。 父親に似て、ごつい女の神様。結婚しなかった。 次女は木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ):富士山の神様

諏訪神社

江戸時代、保々石見神(ホボイワミノカミ)が御家人から旗本になった(辻堂の石高が265石を超えた、260石から旗本になれる)から諏訪神社を建てた。 辻堂八社→宝泉寺よりも後。 辻堂の氏神様だけど、方角が東(ほんとうは真南を向くはず)。これは宝泉…

果物

桃 うちには2種類の桃畑があった。 テンシン:頭がとんがった形、少し硬い スイミツ:熟れるとやわらかい 北町の屋号、辻さん宅のそばに出荷していった。 砂地でも大丈夫だった。 ブドウ バーミヤンがブドウ畑だった。 スイカ メロン メロン畑。昔は真っ黄色…

辻堂の海

祭り(7月26日・27日)前は畑仕事が忙しくて海に入らなかった。 お盆は、その時期におぼれて亡くなった人がいたから、「おぼれちゃうぞ」と言われた。 8月は「土用波が来るから気をつけろ」と言われた。 土用波:台風の煽りで荒れること 溺れて亡くなった人…

諏訪神社例大祭

毎年決まって7月26日・27日。 辻堂の諏訪神社は、川から水を引くことができず、砂地のため、梅雨の雨で無事田植えをできたことを水の神様に感謝する祭り。畑作業も一段落着いた時期。収穫祭ではない。 一度だけ梅雨の雨が足らず田植えができなかった時(1955…

辻堂駅

開設時1916年 現、北の寺(宝珠寺)のところに作るはずだったが、藤沢駅までの距離が近いため、地域住民が反対。茅ヶ崎市との市境近くへ移動。西町のサカヤが土地を出した。 駅周辺の商売は元々辻堂の人ではない人がやっていた。

石井家代々の名前

1代目 五兵衛 2代目 浅右衛門 3代目 五兵衛 4代目 浅右衛門 5代目 五兵衛 6代目 浅右衛門 7代目 五兵衛 (この人の名前が通称の屋号として使われていた) 8代目 徳右衛門(7代目五兵衛が娘のみだったため、西町の大西から婿に来た。 その後に光五郎が生まれ…

屋号

屋号:明治初期からの通称 【南町】 斎間→マゴエム様(孫右衛門 まごえもん) 石井→ゴヘイ様(五兵衛) 櫻井(盛本)→テントウ(天東網 網元だった) 田中→トウヒチ様(唐七) 吉田→ジュウロウ様(重郎網 網元だった) 吉田→ブンエム様(文衛門?) 石井→モ…